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 平成元年に生まれた私も大学四年生になり、つい数年前大人の仲間入りを果たしたわけだが、大人になったからにはやりたくもない就職活動に従事し、あるわけもない夢を語りこの不景気の中なんとか働く先を見つけ、両親も一安心したころ中学時代の古い友人から一通のメールが来て、二人だけの同窓会を開こうということになった。

 我が友人、蘭はとぼけた口調で語る。

「そりゃねぇ、白状すると中学の時、私アレと付き合ってたよ。ほんと当時は彼氏というものを勘違いしてたねぇ。あんなのが初恋だなんてなぁ。まあ、私のことはいいの。葉月こそどうだったのよ。葉月、あんた正岡君とすごく仲良かったじゃない。当時から思ってたけど、あんたたち、怪しかったわよぉ」

 この友人のひとことが原因で、思い出の箱に仕舞われた懐かしい記憶を掘り起こすことになった。忘れるわけもない、

 正岡少年のことを……。




 あれは私が中学生の時のこと。

 小学校を卒業し児童ではなくなったというだけのことで、自信満々に制服へ袖を通し大人になったななどと思いながら、通い始めた中学校。はじめて中学へ通った時は、これから私の青春デイズが始まるのだと思いつつ、カツラの校長を初めとするどこが偉いのかさっぱりわからないお偉方の話にあくびをうちながら入学式を終えたのだが、真にあくびをうつべきだったのは先生たちの話などではなく、私の学園生活そのものだった。

 さて、私の学園生活とはなにか。




 その一、通学路。

 家から中学へ続く道には、急でもなく緩やかでもないどこまでもだらだらと続く坂道があり、その坂を上るたびにどこかふらふらと目まいでも起こしそうになりながら、毎日けなげにもだらだら坂を上っていた。坂の途中で蘭と会うことが何度かあった。

「おはよう、蘭」

「……あ、ああ、葉月おはよぉ」

 蘭はいつ会っても、今にも貧血でも起こして倒れるのではないかという顔つきで、息を切らせながら坂を上っていた。

「はぁはぁ、葉月、私思うんだぁ……、はぁはぁ、この坂、なくならないかな……」

「だらだら坂の主が情けないことを言うな」

 主ってなにいぃ、と蘭は悲鳴を上げたが、この「だらだら坂」のふもとに蘭の家はあるのであり、坂の主と言わずになんと言えばいいのか。

「だって葉月、考えてもごらんよぉ」

 蘭は語る。この坂があと半分でも短くなれば得体の知れない貧血など起こすことがなくなり学校へ着く時間があと十分は短縮され、つまり、あと十分でも長く朝の惰眠をむさぼることができるのではないか、だそうだ。

「なるほど、それは名案だ。そうして朝ギリギリまで寝過ごしてダッシュで登校し、ステキな男のこと道の角でぶつかったりするハプニングを期待しているんだね?」

「はうぅ」

 蘭はうなだれた。私の通学とはたまに仲のいい友人とかけあい漫才をする機会があったという程度のもので、上記のようなハプニングなど、起きたりはしなかった。残念。




 その二、友人たち。

 私は友人に恵まれた方だとは思うが、誰を見てもどこをとっても変わり映えのしない友人たちばかりであり、どこぞのアニメ化され爆発的ヒットをした小説の主人公ではないが、宇宙人や超能力者、その他諸々がいたところでよかったのではないかなどと思うほど普通じみた友人たちしか居なかった。

「それはねぇ、無理な注文だと思うんだぁ」

 こう言う時だけ常識人になる蘭は私に偉っそう語った。

「まず宇宙人。いるかどうかも怪しいけれどさぁ、その存在がまったく明らかにならないあたりねぇ、政府がすごい情報操作をしてるんだよぉ。そんな国家的、ううん、世界的秘密事項がさぁ、私たちの前に現れるわけ、ないんじゃないかなぁ」

 蘭は、同様の論法で宇宙人、超能力者、未来人、その他諸々との接点を持つことは不可能であると私に諭したのだった。しかし、

「いや、蘭。私が言っているのはそういうことじゃなくて、中学に入ったってのに、友人らに一切の変化がないってことなんだよ」

「ああ、みんな出身小学校同じだもんねぇ」

 そう、友人の大半は小学校のころから引き継いでおり、学区域の関係か、新しい刺激をもたらすような他校出身の入学生というのがほっとんど存在せず、それが原因で私の周囲は小学生のころのメンバーと変わりがなかった。

「でもね、中学に入ってすごい変化があるじゃない。そう、」

 と、蘭は語る。

「服装が制服に替わったことよぉ」

「お前は制服マニアか!」

 私の空手チョップが炸裂した。




 その三、部活動。

 私は誰の薦めというわけでもなく、入部希望も毅然としたものがあったわけでもなく、ただなんとなく友達が入るからというだけの理由で部活動をはじめた。バレーボール部へ入部したのだが、別にバレーボールがとかく好きだとか、人一倍背が高いとかそう言う理由ではない。

 そんな事情を知っている蘭にからかわれたことがある。

「ねえ、葉月。我が部へ来てみないかなぁ」

「我が部? 蘭って何やってるんだっけ」

「我が部の活動内容を聞かせてあげよう。いかに迅速に、安全に、確実に、帰路をたどるか……そう、我が部とはつまり、」

「帰宅部か」

 先に言われたぁ、と蘭は嘆いたが、すぐに矛先を変えて攻めてきた。

「まあ、いいと思うよぉ。確かに葉月はスレンダーだし、運動神経もいいけれど、背丈は中の上といったところじゃない」

「その分私は跳躍力でカバーしてるんだよ」

 と言ってみたものの、私としても当時のバレーボール部に格別な思い入れがあるわけではなかった。バレーボール部は本当に特別なことなどなく、大会へ出れば初戦敗退はざらで、部活動の内容も強さよりは楽しさ、という感じであり、小学校にあったお遊戯クラブを彷彿とさせた。

 だがそこで私は反撃に出た。

「そんなことをいう蘭こそ、バレー部に来たらどう? おでぶ猫のふたつ名を返上させてあげよう」

「ぐうぅ」

 蘭は唸った。




 最初にもどると、私の学園生活とはこのように、「フツウ」すぎるほど、普通であり、宇宙人も超能力者もそれらに類似する何かも現れることなどなく、普通に、無難に、ただなんとなく、終わってしまったし、過ごしていた。何もかも普通な私の学園生活に、たったひとつ彩りを加えるとするなら、彼との思い出を語るしかない。そう、正岡少年である。




 私が正岡少年と出会ったのは、中学一年の秋のことだったと記憶している。

 夏休みが終わり、二学期が始まろうとしていた時分、転校生が来る、というウワサで私のクラスは持ちきりだった。蘭と私は転校生のことで話し合っていた。蘭は語る。

「そうだねぇ、今度転校生が来るって話をさぁ聞いたんだけど、どんな子が来るんだろうねぇ。私が聞いたウワサだとぉ男の子だって話だけど、ステキな子だといいねぇ」

 と、蘭はとぼけた口調で語る。実際、表情や話し口は柔和だが、言舌は時として鋭く、油断していると一刀両断にされることもある。やや低い背丈に曲がり気味の背中、太っているというわけではないが、全体的に丸みを帯びた体型の持ち主であり、本人は嫌っているものの、おでぶ猫というあだ名がある。もっとも、当時は知らなかったが、そこがいいという男子もいたらしい。

「残念。蘭よ、悲しむがいい。私が聞いた話、この信頼が置ける筋の情報によると、転校生が来るのは一年A組らしい。私たちはB組、ゆえに私たちのもとへ転校生は来ないのさ」

 それは残念だねぇ、だとか、どこでそんな情報立ち聞きしたのぉ、など、私たちはウワサ話にかかりきりになっていたが、先生の来訪と共に告げられた御言葉によると、

「転校生? あー、なるほど。転校生か。確かにお前らが知っているように、転校生は来た。喜べ。しかぁし、転校生が来たのは隣のクラス、A組だ。残念だったな。とはいえど、A組はすぐ隣のクラスだ。会いに行ってやれば喜ぶかもな。さて、朝の会を始めるぞ」

 この情報によりウワサ話はたちどころに氷解し、みんなも、私も、転校生のことなどすっかり忘れてしまった。しかし運命の歯車は水面下でうごめいていたのだった。




 それから数週間。転校生のことなどすっかり忘れてしまったころの話。

 私はまじめというほどでもなかったが、学校の成績もそこそこよく先生たちからの評価も悪いものではなかった。それもひとえに、毎日こつこつ勉強していたことが理由のひとつだろうが、公立学校での勉強などたかがしれており、それを心配した両親が私を塾へ通わせていたことがもっとも大きな要因だろう。塾というものは意外と人の出入りが激しく、自然、私はコミュニケーション能力というものに磨きをかけるチャンスももらっていた。

 そんなある日、塾へ新しい入塾者が訪れるという話を聞いた。別段めずらしい話でもなく、夏休み明けに久しぶりに会う友人と接するかのように、みんな自然と出迎えていた。塾の先生はこう紹介した。

「彼が、今度新しく入ってきた正岡昇君よ。正岡君、みんなにあいさつなさい」

「はじめまして。正岡昇です。未熟者ですが、よろしくお願いします」

 とても明るくて、はつらつとした声だった。背が高いけれどひょろっとした印象はあたえず、ガッシリとした体型を保持していて、ショートヘアの黒髪は毛の先までサラサラになびいており、彫りの深い顔と、きりりとした黒い眉が外国人を連想させた。そしてなにより、笑顔がステキだったことを今でも覚えている。

「そうね、正岡君の席は……、まあ、どこでもいいんだけれど、そこの角、空いてたわよね。そう、空いてる。じゃあ正岡君、そこに座ってちょうだい」

 正岡少年は、私の隣に来ると、

「よろしく」

 と言って、にこりとほほえんだのだった。私も負けずと元気な声で、よろしくお願いします、といったような気がする。

 これが、私と正岡少年の初めての出会いだった。

 偶然ではない。運命だ。私はそう信じている。




 席が隣だったからか私と正岡少年はよくおしゃべりをしていた。もちろんただのおしゃべりだけじゃなくて、勉強の教えあいっこだってしていた。

「へー、正岡君って剣道やってるんだ。力こぶある? うわ、すごい」

「いやいや、普通だよ。そういう夏目さんは何やってるの? バレーボール。へぇ、スマートだしね、向いてるんだと思うよ。やっぱり大会とかで活躍してるの」

「正岡君、何年生? 一年、じゃあ、私と同じか。この方程式解けるかな、私わからなくって」

「ああ、簡単だよ。これは、ここをこうやって」

「正岡君、好きな芸能人とかいる? あー、ダウンタウンかぁ」

「夏目さんはカラオケとか行くの。村下孝蔵が好き……って、誰それ」

「ワンピースは知ってる? そそ、マンガの。やっぱりゾロってかっこいいよね」

「名探偵コナンは知らないなぁ。マンガが嫌いってわけじゃなくて、ミステリー全般が好きじゃなくってさ」

 けれど時として、勉強とは関係がないことでおしゃべりばかりしたもので、先生に注意されることもあった。先生に注意されたことのなかった私は、少しどきまぎしたけれど、それでもしばらくすると、懲りずに私たちはおしゃべりをしていたような、そんな記憶がある。

「そういえば正岡君ってどこの学校なの」

「オレ? 桜三中だよ」

「え、マジ。一緒の学校だし」

「マジか。夏目さん、どこのクラス?」

「一年B組だよ」

「オレ、A組」

「正岡君、私と出身小学校違うのかな。今まで知らなかったよ」

「ああ、オレ、秋に越してきたんだ。転校生、知らない?」

「あーーーっ!!」

 このとき二人して大笑いした記憶がある。ウワサの転校生が正岡君で、すっかり側にいたのに気がつかなかった。偶然というのは、恐ろしく奇妙奇天烈なものらしい。




 明くる日、私たちは学校ではじめて会った。あの時は、見なければよかったと思ったが、今思うといい思い出をありがとう、という感じだ。

「いいか、時代は猫耳ではない。ネコマタテールだ!」

 正岡少年がマニアっ気のありそうな男子数人と語り合っていたのだが、曰わく、

「確かに猫耳は可愛いかもしれない。なによりジャンルとして確立しているし人気もある」

「だが余りにも猫耳へ傾倒すれば価値観は硬直し、かつての可愛さが失われる」

「価値観とは時代により移り変わるものなのだ。いや、せねばならない」

「つまり、これからはネコマタテールの時代だ」

「うん? ネコマタテールなんか見たことがない。そうか、ならば誰かにやってもらおう」

「ああ、夏目さんじゃないか、いいところに来た。ぜひ、これを」

 このときほど、赤っ恥をかいたと思ったことはない。確かにすばらしい理論かもしれない、けれど、私に変なものを身につけさせようとしないでくれ。




 また後日、A組へ遊びに行ってみた。正岡少年はやはり、マニアっ気のありそうな男子数人と語り合っていたが、今思い返すに、正岡少年はいわゆる隠れマニアだったのかもしれない。

「オレはみんなの夢をかなえたことがある。アレはまさに、神からの恵みだ、そう思う」

「前の学校で、廊下を歩いていたら、角で女子とぶつかったんだ」

「そうしたら、その女子、尻もちをついてオレのことを見上げていた」

「何が起きているのか、そう思ったね。落ち着いて考えて見ればなんと言うことはない」

「大丈夫かい、そういって右手をさしのべたんだ。その後? いや、それっきりだ」

「ちなみに、パンツは白だった」

 武勇伝を語る正岡少年の目はキラキラと輝いていたので、私は何も見なかったことにして無言で立ち去った。正岡少年は天然だったか。




 バレー部の練習は緩く、休憩は好きな時に好きなだけしていいということになっていたので、私はひとり体育館の横にある水飲み場で涼んでいた。汗をかいて風に吹かれながら時の流れに身を任せる、私の一番好きな時間だった。しばらくそうしていると、がやがやという喧騒に紛れ、聞き慣れた声が近づいてきた。

「おーっす」

 剣道部の仲間たちと一緒に、正岡少年が水飲み場へやってきた。

「おーっす。剣道場が蒸し暑くて、避難しに来たか」

「ああ。あそこは熱いし、クサイ」

 そう言って正岡少年は胸元をばたばたとして、その仕草が、いかにも暑苦しそうで、男むさくて、私はエイと手にしていたタオルを投げつけた。

「わっ。なにしやがる」

 そう言って、二人して追いかけっこをしたような記憶がある。観念してつかまった私に正岡少年がなんと言ったか、今でも覚えている。

「夏目って、デコ広いんだな。チャームポイントだ」

 この日から私は、前髪をたらして隠していたおでこを露出するようになった。




 天気予報を見逃した日のこと、部活から帰ろうとしたら外は土砂降りだった。傘などない、雨がやむ気配もない、そろそろ冬になろうかというこの時期の雨は冷たくて、濡れるのを我慢して駆け抜けるというわけにも行かず、さてどうしたものかと思案していたら正岡少年が訪れた。

「夏目、どうしたんだ? 傘がないのか」

「ないんだ、どうしよう」

「オレも一本しか持ってない。一緒に帰るか?」

「え、でも」

「気にすんな、この雨じゃ、誰かなんて見てもわからん」

 そう言って正岡少年は傘を広げた。

「ほら、行くぞ」

「ちょっ、ま、まってよ」

 同じ傘のした、私と正岡少年は肩を寄せ合って歩いた。相合い傘というものは、したことがある、小学生の時分だが、同性の友人同士ふざけてやったことならある。だがしかし、男子と二人きりで、ということはなく、また、傘というのは意外と小さいもので少しでも外に出ると濡れてしまい、自然、肩と肩が触れあうことになった。

 雨は冷たく、正岡少年の肩は、たくましく温かかった。

 これが男子というものなのだと認識した時、私は鼓動が高鳴ることを覚えた。胸にそっと手を当てる、聞こえた、私の鼓動が。高鳴っていた、震えていた。バレていやしないか、得体の知れない罪悪感が私を支配した。大丈夫、傘を叩く雨音が、私の鼓動を押し隠している。私はそろりと、正岡少年の顔をのぞき見た。唇は紅く、頬は日に焼けている。やさしくて、暖かくて、たくましそう。

 何か、得体の知れない情念が私に襲いかかった。正岡少年から視線を外す。視界が揺れる。まっすぐ歩くのもおぼつかなくなる。違う、元々人と人が密着して歩くことに無理があるのだ。密着して? 誰と、誰が、正岡少年と私が?

 鼓動が、感情が、爆発した。

 よろける。正岡少年が私を見た。そして、

「今日の練習メニュー、ちょっと物足りなかったんだ。オレ、走る。走って帰るから、この傘、夏目にやるよ。それじゃ」

 そういって、正岡少年は私に傘を押しつけると、走り去っていった。私はただ、

 正岡少年の後ろ姿を、ずっと見つめていた。




 翌日。

 空は綺麗な晴天であり天気予報も雨が降る予定はないと述べていたのだが、私は傘を片手にだらだら坂を上り、毎日のごとく何も起こることのない登校にいそしみ、そして、一年A組の前へたどり着いた。傘を、正岡少年に返そう。ただそれだけのことなのに、私の中にもやもやと、不安と恐怖が入り乱れており、やはりやめようか、引き返そう、そんな言葉が頭の中をよぎるのだったが、一年A組の扉を開いたところで開き直りがついたようで、元々私はボーイッシュな女なのであり、相合い傘をしたのも傘を貸したのも、男と男の友情だぜ。なんてね。そう言い聞かせて正岡少年に正対した。

「正岡、傘、ありがとう」

「ああ」

 正岡少年はさっぱりとしていた。私の一大決心を知ってか知らずか、例のマニアっ気のある男子たちを前に、こうのたまったのだ。

「ぐぬぬ、に勝るものなし。そうだよな、お前ら」

「だよな」

「おう」

「そうともさ」

 私より二次元優先かよ。でも、そのおかげで救われた。私たちは男と男の友情で、熱い絆で結ばれているんだと、このときは、幸せなことにそう思うことができた。




 今にも雪が降り出しそうな冷え切った日、私はいつものように塾へおもむき、いつものように遅刻寸前で正岡少年が私の隣に座った。数学の苦手な私は、正岡少年によく教わっており、この男は方程式だとかグラフだとか、やけに難しいものが得意で、学校の宿題ができないと泣きついた時に、これはこうやるんだとわかりやすく、やさしく教えてくれたりした。

 そんな、いつもの日のことだった。正岡少年は、いつになくまじめな顔でこう言った。

「オレ、この塾を辞めます。親父の仕事の都合で引っ越すことになりました」

「えっ」

 突然の、話だった。

 何それ、意味、わからない。

 私たちは男と男の友情で、熱い絆で、結ばれているのではなかったのか。

 だから、私には正岡少年がいなくなるだなんて信じられなかった。ただの冗談だろう、私を困らせたいだけの嘘だろう、そう思った、だからそう言ってみた、けれど、正岡少年の言説に変化はなかった。結局、意味がわからないまま、その日の塾は終わった。

 次の日から正岡少年は塾に来なくなった。ポツリと空いた正岡少年の席が、なんだか、いつもにぎやかな塾を寂しくさせているような、そんな気がした。

 結局私には、何もすることができなかった。




 別れの日は、すぐにやってきた。学校で正岡少年と会った。

「今日でお別れだな」

「うん。向こうに行っても、ちゃんと友達作れよ」

「おう、任せておけ。こちとら引っ越し魔の親父に育てられてるんだ。手慣れたものさ」

「それじゃ、ね」

「あれ、もう帰るのか」

「うん。またね」

 私は右手を振ると、正岡少年の顔も見ずに振り切って、階段をトントンと下りていった。トントンと階段を下りる。下りていくと、なんだか急に、胸がバクバクしてきて、それで、なんだか胸が空っぽになったような気がして、私は階段に座り込んでしまった。

 もう、会えなくなるんだ。

 そんなことはない、また会える、私たちはまた会える。だって、私たちは男と男の友情で結ばれているんだ。そんなふうに、私は自分に言い聞かせていた。

 また、会えるんだと。




 次の日。

「おはよう、葉月」

 一年B組の教室へ着いた私を蘭が迎えてくれた。

「……ああ、おはよう」

「どうかしたの? 葉月」

「別に」

 私は無理に笑ってみた。蘭は私の顔を心配そうに見ていた。私はちょっと用事があるから、そういってB組を後にした。

 現実感のないまま廊下を浮遊する。正岡少年は今頃何をしているだろうか、そんなことを考える間もなくA組へ到着した。なんだ、すぐ隣のクラスじゃないか。なんのためらいもなくA組の扉を開く。そこには、

 マニアっ気のありそうな男子が数人固まっていた。そこに、

「正岡……」

 正岡少年の姿はなかった。




 A組にも、塾にも、正岡少年の姿はどこにもなかった。私はなにかが抜けてしまったかのように、一日中、ぼーっとしていた。授業が終わり、部活があったのに、とぼとぼと家路についた。

 ほっぺたに、何か冷たいものがついた。空を見上げると、雪が降っていた。ふわふわと、雪は降りてくる。そして、地面まで落ちると雪は消えてしまった。

 いくつもの雪が、落ちては消えていく。

 なんだか正岡少年と一緒に過ごした日々のようで、

 私はなんだか悲しくなって、泣いてしまった。




 正岡少年に、いや、正岡に会いたかった。

 正岡のことが、恋しくてたまらなかった。

 私と正岡の間にあったものは、友情なんかじゃなかった。

 これが恋なんだって、今更になって気がついた。

 私は、正岡に恋いこがれていたのに、好きだったのに、愛していたのに、それなのに、気づけなかった。わからなかった。

 正岡がいなくなって、はじめて愛おしいってことがわかった。

 苦しいほどに、恋いこがれていたんだ。




 私は雪の降る中、ひとり泣いた。




 だから、正岡とどうだったのと聞かれると、なんと答えてよいのかわからなくなって、困ってしまう。正岡なら、なんと答えるだろうか。

 私は、懐かしい親友の笑顔を思い出しながら、夢想する。

 忘れられない、思い出を――




-了-